宣教

「天国の種子」

 哀歌3:22〜24 マタイ5:43〜48
 「天国はどんなところですか?」と聞かれ、「あなたの嫌いなはずの人がいっぱいいるところです」と答えたのはカール・バルトです。「うーん!なるほど!」
 「自分にピッタリ!」なんていうところはありません。まして、自分の思いどおりになるところが天国だなんて、思い違いもはなはだしいと気づきます。
 イエス様の中心的使信は「神の国」でした。イエス様は、「神の国をもたらすため。神の国の住人にわたしたちをするために」おいでくださいました。
 どのようにしたら、神の国の住人になることが出来るのでしょうか。それは「自分を迫害する者のために祈ること。天の父のようになること」によってです。 天の父のようにとは、ご自分の子を罪人のために与えるほどの愛「決して絶えない、決して尽きない、朝ごとに新たなる慈しみに生きる」ことを通してです。
 主のように、「余分」を生きることです。「1ミリオン強いられたら2ミリオン」行くこと。ここにこそこそ「天国」がもたらされるのです。
 主がそのようにされたのは、わたしたちもそのように生きるためです。「余分」の中にこそ天国の種子が宿っています。「ニコニコ」と感謝をもって。